信頼できる人を失う

にっちもさっちもいかなくなったときについ依存してしまう人がいた。夜中に電話かけたり、会ったら愚痴をこぼしたり。優しい人だから我慢してくれていたけれども、昨日の朝、もう、そういうことはやめてほしいと言われた。

自分なりには、頑張っていたつもりだった。迷惑であるとはわかっているから、連絡の頻度は少しずつ減らしていったし、口を慎んで喧嘩にもならないようにした。けれども、相手のことおかまいなしに自分の気持ちだけを話す癖は抜きがたく、そういうところが相手に伝わって、不快にさせてしまったのだろうと思う。

荒野に投げ出されたように独りになった。気持ちに寄り添ってくれる人がいなくなった。それは、たぶんいいことなのだろう。相手にも人生がある。僕のよりも開けた人生だ。この先のオレの人生は、そうぱっとしたものではないし、自分の苦しみで迷惑を被る人がいなくなることはいいことだ。少なくとも、傷つけて後悔することは減る。

それに、迷惑だとはっきり言ってくれたのも、一種のやさしさなのだろうと思えるようになった。自分でもこの依存を断ち切りたいと願っていたから、ハッキリと相手の言葉で拒絶してもらえるのは助かる。わらをもつかみたい気分のときに、拒絶されたことを思い出せば、どっちも苦しまずにすむ。

その人にはだいぶ自分の判断をゆだねてきたから、今僕は漂流しているような気分で毎日を生きている。心細いし、自分のポンコツさには嫌気がさす。けれども、あの人がいないのだから、僕はこんな自分を楽にしてやる、それだけを目的にできる。誰かのためにはなりえない自分だからこそ、自分を幸せにするためだけに生きようと思える。

クズだけど、普通の人には一生なれないけれど、それでも、自分を許して、自分を全面的に受け入れてくれるのは自分だけだ。両親に愛情を感じてこなかったので、ずっとそうだった。救いがあると信じたのが間違いだった。そこは、変えられないし、不可能なことに執着すべきではない。

ただ、打ちひしがれているときに弱音を吐く相手は必要だ。生きずりの相手でも、風俗でもいい。泣き言をさんざんはいた後、優しく抱きしめてもらいたい。この願望が断ち切りがたい。この欲望をいかに別の形で昇華できるようにするか。それが今後の課題だ。