休日引きこもり

休日に動けない。予定を組んでもキャンセルしがちだ。この流れは金曜日に夜更かししてしまうところからはじまる。朝方まで興奮して寝付けず、睡眠リズムが一気に狂う。昼夜逆転して、土日はうごけない。また、せっかく起きても、家族と顔を合わせると嫌な気分になって引きこもってしまい、結局寝てしまうことも多い。

外に出ること自体はそこまで嫌なわけではないのだ。確かに、無職のときは外出すると情けない気持ちになった。彼女と一緒じゃないと何処かに出かけるきっかけがなかった。けれども、今は一人でもそこそこ動けるし、十分用心はしている。

イベントでたいけど平日にダメージあるのが怖いとは思う。そもそも会社にもきちんと週5で通えていないし、外に出たって無駄づかいするだけだという捻くれた感情もある。けれども、家の中にいるのはそれ以上に苦痛で虚しいことなのに、怠惰のほうが勝ってしまう。

家の中だと何をする気力もわかないが、けれども外に出てみると以外と動けるし、疲れない。自分の自己認識より力が着いているのに、まだ大げさに怖がっているのだ。
実は、やりたいことはたくさんある。社外の友達がほしい。ジムにもいきたい。勉強したい。今は外にでるのに多大な意志力を要する。通う習慣ができなければ無理だと思う。予備校と契約しても結局いかないで終わってしまう。限度を超えるのは困るが、安眠するためにも満足いく活動が大事だと思う。来週の土曜日のはてなオフ会、行ければきっかけになるかとおもって期待している。いつものごとく動けないかもしれないから、ともかくも金曜日に寝ることを考えないといけない。

『「行動できない人」の心理学』をよんだ

PHP文庫の古臭いお説教本だとおもい、コンビニで購入してから一ヶ月は放置していたのだが、読んでみたらまるで自分のことを書いているようで感心した。メイロマさんの煽りもあり、ビジネス書を読むことに引け目を感じていたのだが、これからはどんどん読もうと思うくらいのインパクトはあった。

自己評価が低い人間はなにごとにも意味を詮索して、無意味だと感じるとやらない。でも行動しないとますます意味が感じられなくなって無気力になる。自分と世界が敵対しているように感じるから、世間に批判的になる。言われたことはするけど、この場においてすべきことを察する能力が低い。警戒心は強いがNOと言えず、ちょっとおだてられると利用される。結果、身近な人を犠牲にする。
などなど、これまでの人生で当てはまることが数多くあった。

とにかく、自分を馬鹿にしないこと。自分の興味はなるべく行動にうつすこと。自分の好きは大切にすること。みじめな気持ちを誰かのせいにしないで、ただそれを克服する方法に集中することが大事なのだそうだ。

自分は不安定な人間だから、この本で得た学びをすぐに実践にうつすのはむつかしい。けれどもこういう本を買ったりして自己を内省して、少しでも現状を変える力に変えて行かねばと思った。ビジネス本や人生訓は、生きる上での最適解を与えてはくれないが、行動に躊躇したときの弾みくらいにはなってくれるんじゃないかと期待する。なるべく記録をつけるつもりだ。

誇りが足りない

業務プロセスも統一されていない組織のなかで働いていると思うのが、みんな自分の仕事が一番重要だと思っているということ。むろんそんなことはありえなくて、やめたら多少無茶でも次を当てるし、引き継ぎでゴタゴタするのは日常茶飯事だから経営者にとっては痛くも痒くもないだろう。

けれども、自分のやっていることは大事だと思うこと。このバイアスをもてる人に最近嫉妬している。自分には代わりがいると思いながらやるより、誰にも出来ないことをしていると思ったほうが気分がいいに決まっている。バイアスだから副作用はある。この傾向が強い人は、傲慢になりがちだったりなんでも自己流にやってしまったりする事がある。人を見下しがちで自分を棚に上げて悪口を吐いたりもする。けれどもパッと見は自信がありそうだし、幸福度も高そうだ。自分のようになにをやってもつまらないことをやっているように感じ、成功しても喜べないよりはよほどいいだろう。

安月給はともかく、仕事自体は大切なことをしているのに、それを感じることが出来ない精神であることがやるせない。喜びを感じる精神が磨耗しているためか、労力に見合った快楽の量が少なすぎる。もっと行動的になりたいのに、無駄だったなと感じるのが怖くて動けない。自分のやっていること、ひいては自分自身にもっと誇りをもちたい。せっかく働いているのに、いい影響をスルーしたまま朽ちていくのは哀しい。急には変われないけれど、もっと自分のことを偉い奴だと思えるようになりたい。

灰色の景色

働きはじめて1年半、いまでもよく休むが、起床や出勤に苦労することは減った。睡眠には苦労しているが、薬を飲まずに寝付けることが多くなった。そうすると自ずと不眠恐怖は薄れて来て、眠れないと焦ることも少なくなった。週に二、三度ほとんど眠れない日があるくらいで、概ね二時には寝付く。

家と職場の往復以外のことはあんまりしてない。定期的に会う人というと主治医くらいだ。mixiやふたばに書き込んだりはしているけれど、掘った穴に叫ぶような不毛な行為であることはわかっている。寂しいが人にあわせるのは辛い。わがままだが気力がない以上どうしようもない。


眠れないときには考えたくないことを考えてしまう。去って行った人たちのこと、不遇な今のこと、暗い将来のこと。自分の意思で動けない現在、あまり考えてもどうしようもないのだ。転職準備するとか、辞表の下書きをするとか考えるべきだと思うのだが、それは怖い。ブラックでも一応の居場所がある今が奇跡的な状態だと思うと、なかなか次とはいかないものだ。考えるのから逃げるためにネットしたり漫画を買ったりしているが、ひとときの慰めに過ぎず、残されるのは冴えない自分であることにうんざりしている。心が荒んでいるのだ。

いま、自分には灰色の風景しかみえない。よろこびも悲しみも、すくった砂のように自分の手をすべり滑り落ちていく。拾い集めることも新たに探すこともできずにただ失うのを傍観している。変えたい気持ちとまた落ちる恐怖。この二つの不安の中で宙ぶらりんのまま。何かしないとと焦るばかり。心の安らぎのために。


いいかげん、不眠症をどうにかしたい。精神症状の原因であり結果でもあり、これさえどうにかできれば人生の課題の半分はクリアしたようなものだ。

思えば、不眠には年端のいかない時分から悩まされていた。喘息と鼻炎で寝付きが悪く、朝起きると呼吸困難になっていることが多かった。寝付けないし夜中に起きる癖というのはこうして培われ、喘息がほとんどでなくなっても依然として続いている。思えば、外泊して夜眠れたことなど数えるほどしかない。彼女とホテルにとまるのだってとんでもなく憂鬱だった。寝てる人の横の暗がりで、ただじっとしているのはきつかったし、翌日はもっとつらかった。心身が壊れてからはもっと難儀で、睡眠薬がまるで効かないのが意味不明だった。一回気が立つと朝まで起きてなきゃならないはめになる。社会復帰してからリズムができてましにはなったが、活動が夜に入ってしまうともうだめだ。気分を落ち着けるのが難しい。やけに寂しくなって、誰彼構わずコンタクトをとろうとすることもある。迷惑極まりない。マイスリー飲んで眠れない時は多かったが、やめたら大分減ったからして、マイスリーの副作用の高揚感が作用してたみたいだ。

疲れていて眠れないのはかなりきつい。運動したらと言われることもあるが、疲労度だけ貯まる可能性が怖すぎる。嫌なことばかり思い浮かぶ。

せっかく眠れても、激しい動悸で起きてしまい、デパスを飲んで耐える時間が長い。はっきりいって無駄な時間だ。休めもせず、動きも出来ない。朝方になると鳥の声がうるさくて、窓を閉めると耳鳴りで眠れない。呪われているのかと思う。

今の主治医とは長い付き合いだし、仮面を外して会える数少ない知己だから変えるつもりもないが、セカンドオピニオンとして睡眠に特化したところにいこうと思う。これさえどうにかすればだいぶ楽になるはずだ。

煩悶の原因

今日も不眠気味。仕事から帰宅してネットダラダラみたらそれだけで深夜になることに恐怖を感じる。心が晴れないまま気ばかり焦って、疲れているのに眠れないという。帰宅してから話さないし、寂しいというのはあるが、ともかく心を沈めてキチンと早く寝る習慣をつけんとヤバイと思う。具体的には、夜には疲れて勉強できないでダラダラしちゃうし、朝はグッタリしてギリギリまで寝てしまう。完全に悪循環だ。

1日の終わりに感じるなんとも言えない焦燥感はなんなのだろう。楽しみたいけど疲れていて楽しみを探す気力がない。テレビは騒がしくて視聴も苦痛。ネットもガヤを見ているだけの気がするが、自分と同じようなダメ気味の人をみて心を落ち着けている。もちろん仮初めの安心なのでなが続きはせず、次のネタを探してさまよい、やめなきゃやめなきゃと思うウチに神経が研ぎ澄まされて、スマホから顔を離した瞬間、胸の動悸と耳鳴りでいてもたってもいられなくなる。

性欲はほとんどないのでセックスしたいとは思わないのだが、甘えさせてくれる異性がいてほしいなあと切に思う。心をひらけるひらける相手が欲しい。愚痴とか展望とか自分なりの考えとかいえる人がいない。リアルにいない。なぜか無職時代のほうが友人は多かった。いまでは閉じこもって、傷つけられることを恐れて人とうまく接することが出来ずにいる。仕事をはじめて打算的な付き合いが増えた反動か、人と話して楽しいと思えることがほとんどなくなった。警戒心を解くのがとても難しい。許し合いたい。このように身勝手な願望がある一方で、相手を受け入れることには抵抗感がある。長く付き合っていて腹の底を見せた相手と別れたのが原因だろう。あの依存関係はほんとうによくなかったのだが、あれほどの安心感といったらなかった。これほどまでに受け入れあえたのに、最後は拒絶しあって終わる。この経験から人を中に入れることが怖くなった。もちろん、職場のドロドロを経験したのも大きく、総体的な人を信用出来なくなり、人と話すのを嫌がるようになった。許容度がさがり、相手の勝手な言動も許せなくなって距離を置くようになった。どんどんどんどん1人になった。殻に閉じこもって、趣味にも没頭出来ず、後腐れのない安い共感を求めてネットを彷徨い、なにも得られずに淋しさを胸にわずかな眠りにつく。
薬は飲んでいるが、脳の問題ではなく、対人関係とやり場のない孤立感が原因で、睡眠不調と意欲減退に歯止めがかからないのは明らかである気がする。いろいろ方策は考えるのだが、行動にうつせない。自分に従うことができないのだ。彼女がいってくれたことなら、素直に従えたのになあとおもう。自分は信用できないし、人も信用できないから行動しあぐねている。なにをやっても無駄な気がする一方で。なにかしないといけない気がする。どうせつづかないと諦めてしまうのはこれが原因だろう。

信じられることを見つけるべきだと思う。多少金がかかってもだ。信じられたら続けられる。少しずつ、上達して行くことがいい。自分のリソースは限られていて、それでもできることをし続けて、続けることで安心感を得られれば最高なのだが。

ぐるぐるまわる

ブログを更新する頻度が遅い上に、だいたい似た内容のことしか書いていなくてつまらない。無気力状態と睡眠不足、つまりはうまく自己制御ができていない状態かずっとつづいていて、わりあいうまく行っているときでも虚無感に襲われてたまらなくなるらしい。人から見るとネタにもならないつまらないことだが、これといった原因がないのに苦しみ続けているのはしんどいし、改善する見込みもないのにはうんざりする。

ネットをみていると楽しいこともあるが、ずっと貼り付いていても後に残るものがない。快感は味会うそばから指からこぼれ落ちていくように覚束なくて、悶々とする時間のみが延々とつづく。生活に追われていないだけマシだとはおもうのだが、暇があっても精神衛生をマシにできないので八方塞がりの感じがする。弱音は誰にも吐けないし、普通の人のふりをするだけでもいっぱいいっぱいでとても人付き合いができる状態じゃないように思う。

幸い、死にたいという気持ちは最近は無くなってきた。だから回復しているのかもしれない。うつ状態そのものがよくなっても、気力の回復には時間がかかるというから、もうちょっと長い目で見てあげないといけないのかも。でも、自分として生活していると、瞬間瞬間の苦しさ虚しさに足を取られて、先のことが考えられないし、年齢のことを考えても嫌になる。いくつか持病もあるし、どれだけ生きれるかわからないし、何をやってもまたうつ期に入ったらお終いだという気もする。破滅へとむかう運命なら、もっと華々しく、とも思うのだが、ここでも無気力が足をひっぱる。自然に楽しくなれるようになりたい。えらくなくていい、馬鹿でいい、自然に幸福だと思えるような精神が欲しい。人と同じように楽しめるようにうまれついていたらどんなに世界は美しかったろうに。俺の人生というくもりがら曇りガラスから見た世界は、すべてがあいまいでうすらぼんやりしていて退屈なんだ。ときどき光がはいるけれど、すべてがぼんやりしてしまうんだ。

どうしたいのか。国外に逃げたい。ゆっくりと自堕落な生を営むことを許された土地がいい。それが俺のユートピアだ。